なつかしい日本の情景・たけなかアトリエ

2024/12/24 20:09 ブログ

クリスマスの思い出

メリークリスマス!

私はカトリック系幼稚園に通っていました。
日曜には家族みんなで教会のミサへ行ってました。
小学生に入るころ、家族みんなで洗礼も受けました。

その年のクリスマスは、母が頑張って製菓の本を片手にケーキを焼いてくれました。
結婚するまで醤油味しか食べたことがない母が、四苦八苦しながら焼いてくれたケーキは売っているものほど華やかではなかったけど、ケーキが自宅でできるという驚きと共に、それはとっても嬉しいものでした。

さあ、夜になっていよいよケーキを切る時が来ました。
その時、突然玄関のチャイムが鳴って、カシラジマさんという教会員のご家族が来られました。
そのご家族は4人兄弟のいる我が家のために、それは立派で豪華なケーキをプレゼントしてくれました。

ピンクやグリーンのバラの形のクリームやかわいいビスケット、サンタの形のロウソクやヒイラギの飾り物がふんだんに飾られてます。

弟達は大喜び。
母も「せっかくだからこっちを食べましょう」と言って、その日は頂いた豪華なケーキをみんなで食べました。

翌朝、冷蔵庫の奥に母が焼いたケーキがそのまましまってありました。
クリームは少し硬くなって、唯一の飾りの銀色のアラザンが寂しく光っていました。

僕はそのケーキを見るとなぜか涙が流れてきました。
そして母に「このケーキが食べたい」とねだって、朝ごはんの時に切ってもらいました。

僕にとってはこの母が焼いてくれたケーキが今まで食べたケーキの中で一番美味しいケーキです。

2024/12/18 13:19 ブログ

タラバガニを買ってみた

ちょっと臨時収入があったので生のタラバガニを買ってみました。
ズワイガニはたまに食べる機会もあるので、あまり食べる機会がないタラバガニ。
正確にはカニではなくヤドカリの仲間だけどそんなことはどーでもいいです。

外食することのないカミさんに食べさせたかったんですよね〜。
満足してもらえてよかったです。
次はズワイガニかケガニにしようかな。
でも有明海に面した柳川育ちのカミさんの中ではいちばん美味しいのはワタリガニだそうです。

タラバガニは食べ応えありました。
ちなみにワタリガニは身の味が濃いと思います。

川にいるモクズガニ(ツガニ)も美味しいですね。

タラバガニ

2024/12/06 18:12 ブログ

イラストレーターを目指すきっかけ

小さい頃から絵を描くこと、工作すること、粘土遊びが好きでした。
幼い頃には絵画教室にも通わせてもらっていました。

そして中学生の時に、隣の席の女子が持っていたいわさきちひろの絵がついたノートかメモ帳の絵を見た瞬間に、幼稚園の頃の楽しかったことが一気に思い出されました。
そのこと自体に衝撃を受け、いつか誰か一人でいいので自分の絵で感動を与えたいという思いがずっと心の奥底にありました。

北九州市という工業都市に生まれた私は、高校3年生の12月、最後の三者面談の日までは理系クラスにいて工業大学を目指していましたが、周りは自分より優秀な人ばかりです。
この分野では先が見えていると言う思いが拭い去れずにいました。
実は生物は好きでしたが物理はさほど好きではなく、工学部自体に向いてないような気がしていました。
一方で、絵を描くことや工作すること、物を作ることが好きだったので一生貧乏でもいいから好きなことを目指したいと考えて、最後の瞬間に方針転換。

私「やっぱり工学部じゃなく絵を描く道に進みたいんですけど」
母「え?」
先生「ちょっと待て…」(教室を出て進路指導室へ…しばらくして戻ってきて)
「芸術系の学校の資料を探したらこの二校しか見つからなかったからどちらか受けろ。俺はもうわからん」
と言われて匙を投げられました。

後から母に聞いた話ですが、その時母は
「ああこれでこの子はもう終わった」と思ったそうです。
そりゃそうですよね。
絵を描くなんていうのはまともに稼げる仕事だとは誰も思わないし、周りにもそんな人は誰もいないんですから。

私の背中を押した要因の一つとして、高校の卒業アルバムに1ページもらって先生全員の似顔絵を描かせてもらったことも影響が大きかったと思います。
「過去の卒業生の中でも先生の似顔絵を描く奴はいたが、これほど似ている絵を書いたやつはいない」と複数の先生に言われて、なんかいけるんじゃないかな?って思ってしまいました。


2024/11/19 09:27 ブログ

今に暮らす幸福

先日の日曜の午前、宮若市にある貝島百合野山荘の見学に行ってきました。
整備されていなくて観光資源にもならず勿体無いけど、それでも当時の炭鉱王の暮らしぶりがわかる豪邸でした。

二階には水洗トイレ、客間には日本に3台しかないという昭和初期の自動演奏ピアノ、現存する日本最古と思われる車椅子、専用の理髪屋など、想像を超えるものがたくさん。当時の思いつく限りの贅を凝らした暮らしがうかがえます。

夜は大河ドラマ「光る君へ」で、いよいよ藤原道長が栄華を極め、有名な望月の和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」を詠む場面でした。
彼もまた当時の権力の最高位を得て思うがままの暮らしをしていたと思います。

しかしながら今に生きる私は貝島さんよりも道長さんよりもいい暮らしをしていると思う。
ボタンひとつで風呂が沸き、トイレに行けばウォシュレットがある。
買い物に行けば世界の食べ物が手に入り遠く離れていても画面を通して会話できる。
ああ、なんて幸せな暮らしをしてるんだろう。
ありがたいことですね。

2024/10/07 17:14 お知らせ

令和7年、巳年の年賀状の本にイラストを提供しました

来年の年賀状の本の見本誌が届きました。
年賀状仕舞いをする人も増える中でハガキの値段も上がり、一体いつまで年賀状という文化が残っていくのでしょう?
そんな中で年賀状図案の本に今年もイラスト提供しています。
本屋で見かけたら探してみてください。
よければ買ってください。
購入はここから
印税もらえるわけじゃないけど(^^)
インプレス 心に残る和の年賀状・令和7年巳年版 2025年

 

2024/09/25 15:25 ブログ

昭和のあの日、足踏みミシンでお母さんが服を作ってくれた

昭和のあの日、足踏みミシンでお母さんが服を作ってくれた

昭和のあの日、足踏みミシンでお母さんが服を作ってくれた


★昭和の力を見直そう

子供はすぐに大きくなります。
今は安くておしゃれな子供服がいくつもあって、しかも安価に購入することができますが、昭和40年代くらいまではお母さんの手作りの服を着る子がたくさんいました。
お店で買った服よりも素朴で決しておしゃれではなかったかもしれないけれど、そこにはお母さんのぬくもりや愛情が感じられ、着ているだけで安心できました。
不器用でうまく作れないお母さんもいましたが、ちょっと失敗したところがあったとしても、それも嬉しいことでした。
お母さんが自分のためにミシンを踏む音を聞くだけで幸せな気持ちになりました。

先日、先天性の皮膚の病気の子供の話を聞くことがありました。
毎日何度もお母さんから薬を塗ってもらわないといけない難病です。
本当に辛い思いをしている子供達だけど、一人の例外もなく心が優しい子だそうです。
お母さんが1日に何度もお薬を塗ってくれることで、優しい心が育つのだそうです。
お医者さんはこれを「スキンシップ遺伝子」と名付けました。

むかしむかしお母さんが作ってくれたシャツやセーター。
今でもはっきり覚えている服がいくつもあります。
お母さん、ほんとうにありがとう。

2024/07/24 20:05 ブログ

京都の寺町で探し回ったイタチの毛の筆

いつも使っている筆がイタチの毛がなくて廃盤となったので大変困っていました。
前々から京都へ行くことを計画してたので筆の買い出しも。
寺町通の3軒のお店でちょっとずつ買いました。
(ちなみに右端はめちゃ安チャイナ製使い捨てタイプで、これも試しに買ってみたけどあまり使える代物ではなかったです)

福岡から買いに来たというと驚いてましたが、
「イタチの毛がないんですよね?」と聞いたら2軒目のご主人は乗ってきて事情を詳しく教えてくれました。
チャイナのイタチは猫ほどの大きさらしく、その毛でないと筆にならないそうです。
そのイタチがコロナの原因と疑われたため、毛をとる人がみんないなくなってしまったそうです。
職人も生活があるから転職したので毛が全く生産されなくなるのは必然ですね。

ということで、とりあえずちょうど良さそうな筆を2本ずつ購入。このうちのどれかが手に合う筆だと分かれば追加注文します。
でも真ん中の筆は在庫もなくこれが最後の商品でした。

コロナの影響はこんなところにも出てきてるんですね。

京都の寺町で探し回ったイタチの毛の小筆

京都の寺町で探し回ったイタチの毛の小筆

 

2024/07/24 19:58 ブログ

心に神様がいてくださる子供に

子供ができて幼稚園を探していた時、仏教でもキリスト教でもいいので宗教系の幼稚園に行かせたかった。
子供たちに、大きくなって何かで悩んだり迷ったりした時に“判断する基準となる柱(軸)“を持って欲しかったから。
心の中に、問いかける仏様や神様がいる子は間違った方には行かずに幸せになれると思ったからです。
そして近所の無認可のキリスト教プロテスタント系の幼稚園に行かせましたが、子供たちにとってとても良かったと思います。
親として私たち夫婦もとても学べました。
今でも当時の園長先生ご夫妻やお友達の親御さんとの交流も続いています。
昔から、
「お天道様が見てるよ」
「そんなことをしたらご先祖様に申し訳ない」
というのが日本人の判断基準として教わってきたことでした。

2024/07/02 11:53 お知らせ

日本のこどもたちカレンダー|令和7年_2025_calendar_昭和100年

令和7年(2025年)のオリジナルカレンダーを制作いたします。

令和7年は昭和100年でもあります。
昭和の頃の懐かしい絵で、あの頃の元気で活気のあった時代を思い出してください。

元気で育つ子ども達は「未来」です。未来は子ども達が作っていきます。
今以上にたくさんの子ども達が、生き生きと笑顔で暮らす情景が増えてくれることを願っています。

100部以上からはカレンダーの下に名入れカレンダーとして広告刷り込みが可能です。
(広告なしのカレンダーは1部から販売しています)

なつかしく心が温まるイラストのノベルティでお客様の心をほっこりしてもらいます。

お申し込みはチラシをファックス、お問い合わせページから、またはオリジナルカレンダー予約ページからお願いいたします。

日本のこどもたちカレンダー|令和7年_2025_calendar_昭和100年

日本のこどもたちカレンダー|令和7年_2025_calendar_昭和100年

2023/11/30 12:11 お知らせ

カレンダー完売しましたが、委託先にはまだ在庫がございます。

お陰様を持ちまして、12月を待たず私の手元にある「令和6年版・日本のこどもたちカレンダー」は全てなくなりました。
しかしながら委託販売先にはまだ在庫がございます。
料金は同じですが送料は別となります。
もし、お求めの方がございましたら委託先をご連絡差し上げますので、お問合せフォームよりメッセージをお願いいたします。