日本のこどもたちカレンダー|令和8年_2026_calendar
令和8年(2026年)のオリジナルカレンダーのご予約受付を開始いたしました。
毎年多くのお客様に「使っていただけるカレンダー」としてご好評を賜っています。
昭和を過ごした方だけでなく、その時代を知らない若い人にとっても昭和の情景は懐かしいと好まれています。
そこには日本人が本来持っている穏やかさや心の触れ合いがあるからでしょう。
なかでも元気に遊んだりいろんな体験をする子どもたちの姿は心を和ませます。
今以上にたくさんの子ども達が、生き生きと笑顔で暮らす情景が増えてくれることを願っています。
100部以上からはカレンダーの下に名入れカレンダーとして広告刷り込みが可能です。(広告なしのカレンダーは1部から販売しています)
一年を通して目に触れるカレンダーは年末のご挨拶やノベルティとしてとても喜ばれています。
お申し込みはオリジナルカレンダー注文フォーム(納品後のご請求)
から願いいたします。
ネット決済対応(BASE)でも承っております。
100部
200部
300部
500部
1,000部
2,000部
⚫︎注文フォームがうまく開けない方
⚫︎単品購入(広告なし)ご希望の方
⚫︎上記以外の部数(広告入り)をご希望の方は、
お問い合わせページからお願いいたします。
★注★名入れ広告のご注文は令和7年10月1日に締め切らせていただきますのでご了承ください。
【各月の絵はこちら】
- 1月/欄干橋
- 2月/窓の絵
- 3月/紙芝居
- 4月/花いかだ
- 5月/お母さんの絵
- 6月/花菖蒲
- 7月/金魚鉢の水換え
- 8月/林間学校
- 9月/停電
- 10月/運動会のお弁当
- 11月/ケンケンパ
- 12月/初めての美容院

竹中俊裕オリジナルカレンダー2026
珍説はかたものがたり
博多どんたく港まつりも今日まで。
そこで随分前に作った創作絵本を公開します。
遠い未来の人が、博多についての言い伝えを語る物語です。
https://indd.adobe.com/view/aad555d8-e6da-4884-bacb-00997fcc340f
初任給の話
新入社員の給与が30万円超える企業がたくさん。
中には40万円超えるところもあるそうですね。すごい!
42年前、西島伊三雄先生のにしじまアトリエに弟子入りした時の初任給はぴったり8万円でした。
聖徳太子が8枚。
しかも1ヶ月働いて手渡された給料袋を開けてみるまで一体いくらいただけるのか知らないままの弟子入りでした。
(8枚のお札を見て何とか暮らしていけそうと思ったのを覚えています)
というのも、他のデザイン事務所に面接に行った時に提示された金額は30,000円。
とても暮らしていける金額ではなかったので驚いていると「最初のうちはデザインを教えてあげるんだから」という理由でした。
そのスタジオでは他の方も最初は親に仕送りしてもらっているとのこと。
父にそれを伝えると「それは就職とは言わん」と言われ、そこはさっさと諦めました。
にしじまアトリエでは年に2回給料を上げてもらいだんだんゆとりもできましたが、最初の頃はデザインの公募展での賞金で食い繋いだりもしていましたw
今なら考えられない昭和の思い出。
18歳の頃の思い出
理系からデザインの道へ進路変更したことは前に書きました。
デザインの学校の試験を受けるにはデッサンが必要です。
そこで美術部の友人が行っている美術教室に通うことにしました。
とはいっても、試験までは2ヶ月もありません。
そこで60枚ほどの鉛筆デッサンをしながら先生に描き方を教わりました。
これは後々までとても役に立つことばかりでした。
物の影のつき方だったり、形の捉え方、錯覚せずに描く方法などなど。
美術教室ではたくさん友人もできました。
ここには進学した後もちょくちょく遊びに行って、先生を通じて北九州市立美術館のアルバイトもたくさんさせてもらいました。
大阪の専門学校の説明会なども行ってみましたが、受験したのは福岡の大学と併設の短期大学。
どちらも合格しましたが「3歳下に弟がいるため4年間私立大学へ行くのは厳しいから短大でもいいか?」と父に尋ねられました。
進学させてもらえるだけでありがたかったので、何の不満もありません。
一般的な文系学部よりもお金のかかるデザイン系の短大に進ませてもらったことは今でも本当に感謝しています。
そして短大に行ったことでのちの人生が良い方へ大きく変わりました。
一つは、福岡のデザイン界でダントツの第一人者だった西島伊三雄先生の門弟になれたこと。
そして何より、今の妻と出会ったこと。
この二つの出会いがなければ今頃どうなっていたかと思うくらいです。
弟がいてくれて、4年生大学に行かなくてよかったw
本当に両親、美術教室の先生や友人たちには心から感謝しています。
そして今日3月3日は35回めの結婚記念日。
妻にも感謝感謝です。
クリスマスの思い出
メリークリスマス!
私はカトリック系幼稚園に通っていました。
日曜には家族みんなで教会のミサへ行ってました。
小学生に入るころ、家族みんなで洗礼も受けました。
その年のクリスマスは、母が頑張って製菓の本を片手にケーキを焼いてくれました。
結婚するまで醤油味しか食べたことがない母が、四苦八苦しながら焼いてくれたケーキは売っているものほど華やかではなかったけど、ケーキが自宅でできるという驚きと共に、それはとっても嬉しいものでした。
さあ、夜になっていよいよケーキを切る時が来ました。
その時、突然玄関のチャイムが鳴って、カシラジマさんという教会員のご家族が来られました。
そのご家族は4人兄弟のいる我が家のために、それは立派で豪華なケーキをプレゼントしてくれました。
ピンクやグリーンのバラの形のクリームやかわいいビスケット、サンタの形のロウソクやヒイラギの飾り物がふんだんに飾られてます。
弟達は大喜び。
母も「せっかくだからこっちを食べましょう」と言って、その日は頂いた豪華なケーキをみんなで食べました。
翌朝、冷蔵庫の奥に母が焼いたケーキがそのまましまってありました。
クリームは少し硬くなって、唯一の飾りの銀色のアラザンが寂しく光っていました。
僕はそのケーキを見るとなぜか涙が流れてきました。
そして母に「このケーキが食べたい」とねだって、朝ごはんの時に切ってもらいました。
僕にとってはこの母が焼いてくれたケーキが今まで食べたケーキの中で一番美味しいケーキです。
タラバガニを買ってみた
ちょっと臨時収入があったので生のタラバガニを買ってみました。
ズワイガニはたまに食べる機会もあるので、あまり食べる機会がないタラバガニ。
正確にはカニではなくヤドカリの仲間だけどそんなことはどーでもいいです。
外食することのないカミさんに食べさせたかったんですよね〜。
満足してもらえてよかったです。
次はズワイガニかケガニにしようかな。
でも有明海に面した柳川育ちのカミさんの中ではいちばん美味しいのはワタリガニだそうです。
ちなみにワタリガニは身の味が濃いと思います。
川にいるモクズガニ(ツガニ)も美味しいですね。

イラストレーターを目指すきっかけ
小さい頃から絵を描くこと、工作すること、粘土遊びが好きでした。
幼い頃には絵画教室にも通わせてもらっていました。
そして中学生の時に、隣の席の女子が持っていたいわさきちひろの絵がついたノートかメモ帳の絵を見た瞬間に、幼稚園の頃の楽しかったことが一気に思い出されました。
そのこと自体に衝撃を受け、いつか誰か一人でいいので自分の絵で感動を与えたいという思いがずっと心の奥底にありました。
北九州市という工業都市に生まれた私は、高校3年生の12月、最後の三者面談の日までは理系クラスにいて工業大学を目指していましたが、周りは自分より優秀な人ばかりです。
この分野では先が見えていると言う思いが拭い去れずにいました。
実は生物は好きでしたが物理はさほど好きではなく、工学部自体に向いてないような気がしていました。
一方で、絵を描くことや工作すること、物を作ることが好きだったので一生貧乏でもいいから好きなことを目指したいと考えて、最後の瞬間に方針転換。
私「やっぱり工学部じゃなく絵を描く道に進みたいんですけど」
母「え?」
先生「ちょっと待て…」(教室を出て進路指導室へ…しばらくして戻ってきて)
「芸術系の学校の資料を探したらこの二校しか見つからなかったからどちらか受けろ。俺はもうわからん」
と言われて匙を投げられました。
後から母に聞いた話ですが、その時母は
「ああこれでこの子はもう終わった」と思ったそうです。
そりゃそうですよね。
絵を描くなんていうのはまともに稼げる仕事だとは誰も思わないし、周りにもそんな人は誰もいないんですから。
私の背中を押した要因の一つとして、高校の卒業アルバムに1ページもらって先生全員の似顔絵を描かせてもらったことも影響が大きかったと思います。
「過去の卒業生の中でも先生の似顔絵を描く奴はいたが、これほど似ている絵を書いたやつはいない」と複数の先生に言われて、なんかいけるんじゃないかな?って思ってしまいました。
今に暮らす幸福
令和7年、巳年の年賀状の本にイラストを提供しました


昭和のあの日、足踏みミシンでお母さんが服を作ってくれた

昭和のあの日、足踏みミシンでお母さんが服を作ってくれた
★昭和の力を見直そう
子供はすぐに大きくなります。
今は安くておしゃれな子供服がいくつもあって、しかも安価に購入することができますが、昭和40年代くらいまではお母さんの手作りの服を着る子がたくさんいました。
お店で買った服よりも素朴で決しておしゃれではなかったかもしれないけれど、そこにはお母さんのぬくもりや愛情が感じられ、着ているだけで安心できました。
不器用でうまく作れないお母さんもいましたが、ちょっと失敗したところがあったとしても、それも嬉しいことでした。
お母さんが自分のためにミシンを踏む音を聞くだけで幸せな気持ちになりました。
先日、先天性の皮膚の病気の子供の話を聞くことがありました。
毎日何度もお母さんから薬を塗ってもらわないといけない難病です。
本当に辛い思いをしている子供達だけど、一人の例外もなく心が優しい子だそうです。
お母さんが1日に何度もお薬を塗ってくれることで、優しい心が育つのだそうです。
お医者さんはこれを「スキンシップ遺伝子」と名付けました。
むかしむかしお母さんが作ってくれたシャツやセーター。
今でもはっきり覚えている服がいくつもあります。
お母さん、ほんとうにありがとう。
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